CONCEPT ART & SHORT STORY

『ジャックジャンヌ』メインキャラクター達のオリジナルショートストーリー&コンセプトアート。毎月20日更新予定。

誰もいないダンスルーム。ゆっくり息を吸いこめば、ひやりと孤独の味がする。

ユニヴェール歌劇学校。
歌劇の舞台を作るため、生徒たちが日々稽古に励むこの学校は、男役女役ともに男子が演じる、全寮制の男子校だ。
年に5回、学生公演があり、どのクラスが最も優れているかを競い合っている。
だからこそ、生徒たちはよりよい舞台を作るための努力を惜しまない。
今、ダンスルームで1人静かに呼吸を整えるフミ――高科更文[たかしな さらふみ]もそうだ。
「透明」 をテーマに掲げるクラス 「クォーツ」 に所属し、今年、最上級生である3年生。
この学校では男役をやる生徒をジャック、女役をやる生徒をジャンヌと呼ぶのだが、立っているだけで人目をひく、どこか攻撃的な色香を持つフミは、女役であるジャンヌだ。
しかも、ただのジャンヌではない。主役を任される特別優れた存在、ジャンヌのトップであるアルジャンヌ。
責任は重いが、当の本人はいつもひょうひょうとしていた。

「……さて、と」

フミは手持ちの音楽プレーヤーを取り出す。再生を押すと、静寂を払うように音楽が流れはじめた。
目を閉じ、ゆらゆらと体を揺らしたのは、ほんのわずか。
深緋の瞳が開くと同時に、タン、と床を踏み打つ音が響き、高く跳躍したフミの姿がダンスルームの鏡に映った。
アルジャンヌはすべてにおいて高いレベルが求められるうえに、これなら誰にも負けないという武器が必要だ。
フミの武器は、ダンス。
男性らしい力強さと、女性のようなしなやかさが、ステップを踏むごとに入れ替わる。
音楽に身を委ね、無心へと近づいていくなか、フミの脳裏に浮かぶ人の影があった。

(……継希[つき]さん)

思い出を探すようにフミはまぶたを閉じる。

「……?」

そのとき、視線を感じた。
視線の主がフミを見たのはほんの一瞬で、その人はフミに声をかけることなく静かに去ろうとする。

(はぁ、難儀なヤツだね)

フミは音楽を止めると 「おい、なにか用事があるんじゃねーのか」 と呼びかけた。相手の足が止まる。

「気にせず声かけろよな、カイ」

「……邪魔になる」

言葉少なに返してきたのは、フミと同期であり同じクォーツ生でもあるカイ――睦実 介[むつみ かい]だ。

「ジャックエースなんだから、もっと偉そうにすりゃいいのにサ」

ジャンヌの最上位がアルジャンヌなら、ジャックの最上位はジャックエース。
2人はクォーツの主役コンビだ。
しかし、カイは否定するように 「いや」 と首を振った。

「今はジャックエースじゃない。『新人公演』期間中だからな」

季節は春。先日、狭き門をくぐり抜け、ユニヴェール歌劇学校に新1年生が入学してきた。
そんな彼らを主役に置き、お披露目もかねて行われるのが新人公演だ。
配役はすでに決まり、5月の公演に向けて舞台の準備をしている。

「それ言いだしたら俺もアルジャンヌじゃねーけど」

ふだんは主役を務めるフミも、カイと同じように新1年生のサポートに回っていた。
カイはまた 「いや」 と首を振る。

「お前はどこにいても、どんなときでも、クォーツの顔だ」

――たとえ同じ日に入学した同期だろうが、今は共に主役を任されるコンビだろうが、俺とお前は違う。
まるで影のように佇むカイが静かな眼差しでそう訴えかけてくる。
フミは口から零れそうになったため息を、気づかれないように飲みこんで肩をすくめた。

「で、用事は?」

「新人公演のダンスについて相談したいことがある、と」

「ああ、あの演出サンのいつものやつね。わかった、もうちょっとしたら行く」

カイは背を向けると 「邪魔をした」 と言い残して、ダンスルームから出ていった。
扉が閉まり、気配が遠くなってから、フミは、はぁ、と飲みこんでいた息を吐き出す。

「『ジャックエースじゃない』か。ったく、あいつは。……いや、あいつだけのせいじゃないか」

フミがアルジャンヌとして抜擢されたのは、入学して間もない1年のころ。
組んだのは二期上の先輩で、ユニヴェールの至高と呼ばれた天才ジャックエースだった。
無心で踊るフミの脳裏に思い浮かんだ人。
――立花継希[たちばな つき]。それが天才の名前。
ユニヴェール歌劇学校でまばゆい光を放ち舞台に立っていた継希。
今ではその人が高い壁となり、フミたちに影をさす。
フミは再び踊りだした。オルゴールの上でくるくると回り続ける人形のように。頭を空っぽにしたくて、くるくる、くるくると。
ダンスルームに満ちた孤独が絡みついて、凍えてしまいそうだ。

「……!」

突然、熱を感じた。

(ああ、あいつか)

ダンスルームの鏡を見れば、先日入学してきたばかりの新1年生が映っている。
ジャンヌ顔だが芯の強さを感じさせる面立ちをしたその新1年生は、邪魔をしないようにと遠慮しながらも、フミが踊る姿を見て、必死に技術を学びとろうとしていた。
その視線が熱くて心地よい。
伝染するように、くるくると回るだけだったフミのダンスに熱がこもる。

(……こいつなら)

自分たちのことも変えてしまうのではないか。予感なのか、希望なのかはわからない感情がわきあがる。
天才と呼ばれたあの人によく似た面影を持つ後輩だからこそ。

「……さて、と」

フミはダンスをやめて、振り返った。

「どうだった、お客さん?」

食い入るようにフミのダンスを見つめていた新1年生はハッと我に返って 「勝手にのぞいてすみません!」 と頭を下げる。

「ベつにいーよ、減るもんじゃないし」

フミは軽口をたたきながら、ゆっくりとその新1年生のほうへと足を踏み出した。

太い幹から伸びる無数の枝葉が、空を遮り光を隠す。木の根は苔むし、雨が降ったわけでもないのに湿り気を帯びたシダの葉が、ときおり上下に揺れている。

「……」

そんな薄暗い山のなか、静寂に溶けこむように佇む人が1人。
周囲には 「カイ」 と呼ばれているその人――睦実 介[むつみ かい]は、チチチとさえずる鳥の声を追うこともせず、じっと景色を眺めていた。それこそ、土に根を張り、何十年、何百年という長い年月を刻んできたこの木々のように。
古来より信仰の対象にもされてきた大伊達山[おおだてやま]
本来、人の領域ではないこの神聖な山が、多くの人々を迎え入れ華やかな歌劇を披露するユニヴェール歌劇学校の背後にそびえ立っているのだから不思議な話だ。
カイも生徒の1人、今年、最上級生である3年生。所属クラスはクォーツだ。
「透明」 をクラステーマに掲げるクォーツは、まだ色のついていない舞台未経験者が入学してくることも多い。かつてのカイもそうだった。

「……入学、か」

季節は春。クォーツにも新しい生徒たちが入学してきた。

――君の目から見て、今年の新1年生はどうだい、カイ?

ふと頭をよぎった言葉は鮮明だ。
それもそのはず。今日、しかも、ほんの少し前にかけられた言葉だからだ。
相手は根地黒門[ねじ こくと]。独特な経歴を持つ彼は、クォーツの組長を始め、脚本執筆や、演出といった舞台にまつわるさまざまなことを請け負っている。
才能豊かな男だが、そのぶんクセも強く、眼鏡の奥にある瞳はいつだって面白いものを探していた。
今日もそうだ。
カイは根地との会話を思い出すように、目を閉じる。

「……俺から見た、新1年生?」

「そう!新人公演に向けて懸命に羽ばたこうとしているひな鳥の姿が、君の目にどう映っているのか気になってね」

なにか意味があって聞いているのか、それとも、気まぐれか。
わかっているのは、逆らったところで時間を失うだけということだけだ。
カイは確認するように新1年生たちを見回す。

(あの3人……)

目にとまったのは、なにか相談するように固まっている3人組の1年だった。
1人はどこにいてもパッと目を引く明るさを持つ、織巻寿々[おりまき すず]
もう1人は控えめながらも思慮深い眼差しでしっかり相手の話を聞いている、世長創司郎[よなが そうしろう]
そして、そんな2人の間をとりもつように、真摯な表情でなにか話しているのは――

「ああ、面白いよね、彼ら」

目ざとく気づいた根地がメガネをかけ直して彼らを見る。

「入学したてのころなんて『我こそが1番、蹴散らせ同期!』になりやすいのに、あの子たちはいつも3人一緒だ。良くも悪くも目立ってる」

根地の口角が陽気にあがる。

「はてさて、吉と出るか、凶と出るか……」

メガネの奥の瞳が値踏みするように新1年生たちを見た。

「……あまり試すようなマネはするなよ」

カイは警告するように言う。

「もー、僕だってヒマじゃないんだよ?最高の舞台を作るためにしか時間は使わないさ!」

「……」

「おやぁ、『それが心配なんだ』って顔してるね。僕のことが信頼できないの、ジャックエース?」

根地の言葉に思わず顔をしかめた。
男役も女役も男子生徒が演じるユニヴェール歌劇学校では、男役をジャック、女役をジャンヌと呼んでいる。恵まれた体格と身体能力、それに誠実な演技力を持つカイは、ジャックの中でも主役格であるジャックエースを任されていた。
ジャンヌの主役格であるアルジャンヌと並んで、クラスの顔とも言える存在なのだが、同期でアルジャンヌを任されているフミ――高科更文[たかしな さらふみ]とは違い、カイはいまだにその名が体に馴染んでいない。

「俺は、あくまで器だ」

アルジャンヌを華として、それをより美しく映えさせるための器。高科更文を輝かせるための影。それが自分の役目だとカイは思っている。
そういう形にカイを仕立て上げたのが、この根地黒門だ。

「なにかご不満?」

「……いや」

フミを支えることに不満はなく、クォーツのために自分の持てる力を全て捧げる覚悟もできている。
ただ、ジャックエースという冠が、自分にはひどく不釣り合いに思えるのだ。
入学してからずっとアルジャンヌを演じ続けてきたフミという才能を知っているからこそ。
カイはもう一度、新1年生の3人組に視線を向ける。
舞台について真剣に話し合う彼らの姿が対等に見えて、どこか羨ましかった。
ただ、その均衡がいつ崩れるかはわからない。

「新人公演じゃ、誰が結果を残すかねぇ」

ざわざわと緑の匂いを含んだ風が通り抜けた。
カイは目を開き、穏やかに降りそそぐ木漏れ日を眺める。
人に夢を与えるために、まばゆい光を放つユニヴェールは、カイの目には眩しすぎるときがあった。
だからこうやって、ありのまま存在する自然に身を置き、1人息をつく。

(……俺は俺がやるべきことをやるだけだ)

そう思いながらまた目を閉じようとしたところで、カイの視界のはしに、突然、白いなにかがよぎった。

「……? ああ……」

見ればシダの葉の隙間から白いイタチが顔を覗かせている。
白イタチはカイのことをチラッと見てから、山を下るように駆けていった。
大伊達山にはさまざまな野生生物が住んでいる。そのなかでもイタチは、大伊達山の山岳信仰に絡められ、大事にされてきたらしい。
そうはいっても、人間に寄りつくことはほとんどないのだが――

「わっ!」

白イタチが消えた方角から人の驚く声が聞こえた。

「あの声は……」

カイは声がしたほうへ足を向ける。すると、カイの後輩であり、稽古場で相談し合っていた新1年生3人組の1人がいた。
一緒にいた織巻寿々や世長創司郎よりもずっと小柄で、喉におうとつはなく、成長期を感じさせない。
その後輩の足下を、白イタチが人懐っこくクルクルと回っている。
白イタチはひとしきりはしゃいだあと、満足したのか跳ねるように去っていった。
それを見送ってから、新1年生が台本を開く。新人公演の台本だろう。
なにかうまくいかないことでもあるのか、難しい顔で同じページを見つめている。
大きな瞳に、小柄で華奢な体つきは、女性も男が演じるユニヴェール歌劇学校おいて貴重な存在だ。当然、ジャンヌとして生きていくのだろう。

(……だが)

舞台への情熱を滲ませる横顔には、ジャンヌだけでは収まらない強さも感じる。
ジャックエース候補や、アルジャンヌ候補は、1年のときにだいたい決まる。
才能がある人間というものは、入学したときから周りとはどこか違うものだ。
カイの同期で、アルジャンヌであるフミがそうだったように。

それでいうなら、あの1年は――

「……? あっ、カイさん、お疲れさまです!」

カイの視線に気づいたのか、後輩がパッと顔をあげる。独特な柔らかい空気がカイの頬を撫でた。
1人になるためにここにきたのだが、この後輩は一緒にいても落ち着ける雰囲気を持っている。
カイは口を開いた。

「わからないことがあるなら、つき合うが?」

舞台は巨大な装置。ジャックとジャンヌはその歯車。僕はそれを組み立てる職人だ。

薄暗い部屋のなか、真昼のような輝きを放つパソコンだけが騒々しい。
壁には従来の能力以上に本を押しつけられた本棚。床には入りきれず飛び出した本たちが要塞を作っている。

「ええっとー」

その中の1冊をコーヒー片手に難なく引き抜いて、パソコンのディスプレイをのぞき込んだのは、部屋の主。
ユニヴェール歌劇学校の3年生。少々訳ありのクォーツ所属、クラス組長を務める根地黒門[ねじ こくと]だ。
同期にはクォーツのアルジャンヌを務める高科更文[たかしな さらふみ]と、ジャックエースの睦実介[むつみ かい]
根地はといえば、自主性が重んじられるユニヴェールの校風を惜しげもなく利用し、クォーツの脚本・演出はもとより、役者としてもジャックとジャンヌともに演じられる多才さで舞台を支えている。 今も、新人公演に向けて調整を行っている最中。パソコン画面のスクロールにあわせて動き回る瞳と同じように、頭の中も[せわ]しない。
そのせいだろう。来訪を告げるノック音が妙に強く響いたのは。

「はいはい、どーぞ!」

現実に戻った根地が返すと 「やっとか」 という重みを持ってドアが開く。

「失礼します」

色素の薄い肌に、その色を淡く溶かしたような柔らかい髪色。
純然たる可憐さを持つその人は、伏していた瞳を持ちあげる。

「呼んでおいて無視ってどういうことですか。こっちだってヒマじゃないんですよ」

非難の声の鋭さは、容姿の印象からはほど遠い。

「すまなかったね、白田[しろた]くん!」

白田美ツ騎[しろた みつき]。根地の一期下の後輩で今年2年生。
彼の姿が人に与える印象そのままに、女役であるジャンヌを任されている。

「だって、ちゃんと来るなんて思っていなかったからさ」

悪びれず言うと、彼の視線がますます鋭利になった。

「1年の後輩を伝書鳩にしておいて、なんですか、その言い草は」

そう、まだ真新しいクォーツの1年に 「白田くんを呼んできて」 と軽く頼んでいたのだ。

「だって、カイには頼むなって言ってたじゃない、君」

「当たり前でしょ。うちのジャックエースを、そんなくだらないことに使わないでください」

「だから、代打で新1年生……」

「それもやめろって言ってるんですよ。……で、要件は?」

「あの子どうやって君のこと動かしたの? どんなワザ使ったの?」

「……用もなく呼んだんですね。失礼します」

「ああ、ちょっと待って!」

背中を向けようとした白田に『僕が悪かったです』と両手を上げる。
白田が表情を曇らせたのは、根地がいっさい反省していないことを知っているからだろう。

「……で、要件は?」

根地は 「ちょっとかぶっちゃうんだけど」 と前置きしてから本題に入った。

「君から見て、今年の1年はどう?」

白田が眉をひそめる。

「フミさんやカイさんにも聞いてませんでした、それ?」

「おさすが、その通り!」

白田が言うとおり、フミやカイにも同じ質問をしていたのだ。

「うちのアルジャンヌとジャックエースの答えがあれば、それでじゅうぶんでしょ。どうして僕まで……」

「なにをおっしゃる! 君は我がクォーツのトレゾール、花形じゃないですか!」

ユニヴェールでは高い歌唱力を持つジャンヌをトレゾールと呼んでいる。
白田もその名を冠するにふさわしく、抜群の歌唱力でクォーツの舞台を[いろど]っていた。人気も高い。

「いやー、君がクォーツ所属で良かったよ。ロードナイトが欲しがる人材だからね」

ロードナイト、と聞いて白田が押し黙った。
ユニヴェールは全部で4つのクラスに分かれており、クラスごとに特色も違う。
クォーツは『透明』というクラステーマが示すように、まだ色のついていない舞台未経験者が多く入学してくるクラスだ。
クラスとしてハンデがあるように思えるかもしれないが、高い資質を秘めた才能が入学してくることも少なくはない。この白田だってそうだ。
公演内容はクラスの状態に合わせ、歌、ダンス、芝居、なんでもやる。
一方で、クラスのカラーがハッキリしているクラスもある。オニキスとロードナイトがそれだ。
なにせオニキスは力強いダンスを売りにしたジャック中心のクラス、ロードナイトは絢爛豪華[けんらんごうか]な歌唱力を前面に押し出したジャンヌ中心のクラス。
白田の能力を考えれば、ロードナイトに入って活躍していてもおかしくない。実際、ロードナイトの組長は白田にご執心だ。どのクラスもトップを狙うのに必死なのだから――特に今は。

「で、どうなのよ、今年の1年生」

ここにきて初めて根地は声のトーンを落とした。

「このままじゃよろしくないってのは君だってわかってるでしょ? ほら……『アンバー』」

出した名は、ユニヴェールにある4つのクラスのうちの1つ。ただ、同等に語るのは難しい。
白田もその名の重みを感じとったようだ。思案するように首元に結ばれた空色のタイをいじってから、口を開く。

「……目につくのは3人です」

白田の言葉は端的だ。
まずは1人目。

織巻[おりまき]。よくユニヴェールに入れたなってくらい歌唱レベルは低いけど、歌声にはまっすぐな強さがある」

そして2人目。

世長[よなが]。あいつはあいつで、なんでユニヴェールに入ったんだってくらい奥手で緊張し続けてるけど、歌の意味を人一倍考えている。ただ……」

明朗に答えていた白田が、いったん言葉を止める。

「どっちも下手[へた]だから目についただけかもしれないです」

「それで白田くんに注目してもらえたのならラッキーじゃない、彼ら」

軽口を叩けばすぐに睨まれた。

「で、3人目は?」

最後の答えを求めると、白田は息を吐く。

「根地さんに伝書鳩にされた、あいつですよ」

根地は『やっぱりそうか』と心の中で呟いた。

「てことは伝書鳩さんも、織巻くんや世長くんのように山のような問題のなかひとかけらの輝きが?」

「いや、あいつは……」

白田は逡巡[しゅんじゅん]したあと、慎重な口ぶりで言う。

「まだ、よくわからないです」

「よくわからない、……というと?」

「そのままですよ」

それ以上の言葉は持っていないと彼は言うのだ。

「もういいでしょう? 失礼します」

要件はすませたと白田がドアへと向かう。

「あっ、最後にいいかな! 伝書鳩さんはどうやって君のことここにつれてきたの?」

クラスに所属しながら群れることを好まず、人と距離がある白田。誰かの言うことを素直に聞くタイプではない。
彼の後輩ともなればなおさらだろう。

「…………」

投げかけた言葉の返事は沈黙。退席のためのドアが開く。
今日はこんなところか。

「……特別なことはしていませんよ」

一瞬で気持ちを切り替えた根地に、返ってくることはないと思っていた返事。

「稽古が一息ついたところで、あいつが『根地先輩が呼んでいます』って言っただけです」

根地の口から、「へぇ」 と驚き混じりの声が漏れる。

「それって……白田くんが答えてくれそうなタイミングを見計らってお願いした、ってことだよね?」

彼は歌っている間はもちろんだが、何もしていないように見えるときも頭の中で歌唱曲の調整をしていることが多い。本当の意味で一息ついているタイミングを計るのは相当難しいのだ。
それに、歌とは別に、声をかけられたくない時間も抱え込んでいる。
そんな彼の特質を理解した上で、声をかけたのか、あの伝書鳩は。

「……それってかなり『特別なこと』じゃない!?」

根地は感心して頷く。すると白田が振り返り 「白々しい」 と制するような口ぶりで言った。

「全部計算どおりでしょ」

彼の目は『だまされませんよ』とでも言うかのように鋭利だ。

「伝書鳩にされたあいつが根地さんの予想通り働くことも、僕がここに来るのも、目につく1年に僕があいつの名前をあげるのも、全部わかってたはずだ。ただの確認作業ですよ、こんなの」

白田の言葉には断言するような強さがある。
だから根地はにっこりと笑った。
裏なんてありませんよとでも言うように屈託なく、そして嘘くさく。
白田は苦々[にがにが]しい表情を浮かべ、これ以上、付き合ってられないとでも言うようにドアをくぐる。

「人を測る物差しに僕を使わないでください」

会話の余韻を残すことなくドアが閉まった。

「……いやはや、白田くんは賢いね」

遠くなる足音を聞きながら、根地は笑いをかみ殺す。

「それにしても……これだけしっかり白田くんとの距離感を計れるなら、なにかと使いどころがありそうだ、あの伝書鳩くんは」

舞台にも反映できる繊細さだろう。根地の頭のなかで様々なイメージがあふれ出す。世界が1つ生まれる勢いで。

「しかし『まだ、よくわからない』ねぇ。フミとカイも同じこと言ってたな」

どうやら得体の知れないところがあるらしい、あの伝書鳩は。
かくいう根地にとっても、まだ見えぬところが多い後輩である。

「舞台は巨大な装置で、ジャックとジャンヌはその歯車……僕はそれを組み立てる職人だ。どんな才能の形をしているのか、見せてもらうよ」

根地は持ったままだったコーヒーをひと口飲む。とうに冷えきったコーヒーが、今の体にはちょうど良かった。